このアルバムは北から南へ向かう旅のイメージに四季の変化のイメージを重ねました。 物事にはかならず終わりがあるというのは動かしがたい現実で、その事を思うと悲しい気持ちになります。 今作ではそのような終わっていく行くものへの 悲しみの感情が希望に変わっていく様子を北から南へ向かう旅のイメージで表しました。 季節は春、夏、秋、冬と移り行き、また春になり、終わりというものがありません。 このアルバムも季節のように曲が移り行き、アルバムの最後の曲は最初の曲へと繋がることにより 終わる事のない巡回を形成しています。 このように終わりのあるものと終わりのないもののイメージを重ねて音楽で表現しました。 このアイデアは、制作の最初からあった訳ではなく、アルバムが出来上がってくる 過程で自然とわき上がってきたものです。 もうひとつのテーマはシンメトリーです。アルバムは9曲入りで、5曲目を中心にして、 対称的に構成されています。1曲はピアノの楽曲で、9曲目もピアノの 楽曲といったようなアルバムの構成面や、楽曲のアレンジ面、 例えば左右のスピーカーから対称的な音が聞こえてくるようにしました。
またこのアルバムに限ったことではありませんが、Opitopeでは基本的にマイク録音した サンプルをプロセッシングして、楽曲を構成しています。 これも当初から意図していたものではなく、様々な試みを経て、必然的に辿り着きました。 音に空気を通すことで「複雑化と偶然性」や「精神性」が音楽に含まれると思っています。 これは観測問題で語られるような理論を越えた「不確定なもの」に「リアリティー」を感じてきた結果だと解釈しています。 また、そういった物理的な面と平行して、その音をプロセッシングする過程に「想い」の要素が加わることで、より自分にとっても第三者にとっても真実味が増すことますという事を実感しこのスタンスを継続してきています。 このような物理的、精神的な特性から生じる音がOpitopeの音楽を形づくっています。
アルバムのタイトルの「Hau」についてですが、これはオーストラリアの原住民であるマオリ族の 概念で贈り物に付着する霊的な存在をさす言葉で、今回のアルバムにもHAUが付着してほしい という願いからこのタイトルを着けました。
CH: 高校生の頃はMetallicaやSepulturaのコピー・バンドで エレキ・ギターを弾いていて、夏休みを速弾きの練習に費やしたりしていました。大学生の頃に、 ミニマル・テクノやデトロイト・テクノにはまり、12インチ・レコードばかり買っていました。 その頃はKing Tubbyや、Augustus Pabloの影響もあり、ハードコア、ダブ、ドラムンベース、 民族音楽をゴチャ混ぜにしたバンドをやっていました。そのバンドで僕はギターや打ち込みを 担当していて、その頃はW30という30秒しかサンプリングできないサンプラーでトラックを作って いました。このバンドの解散後、打ち込みに限界を感じていたことと、同時に、Can、Neu!、Guru Guru、 Faustなどのジャーマン・ロックと、Albert AylerやOrnette Colemanなどのフリー・ジャズに 影響を受けたこともあり、ギター、ベース、ドラムの生演奏による即興バンドを始めました。 このバンドの終わりの頃に聴いたOvalやmemeレーベルのコンピレーションがその後の自分の音楽性に 大きな影響を与えています。その後1年ほど音楽から離れていたのですが、その間の音楽シーンの 変化は著しく、ある時友人が持っていたReaktorを使って衝撃を受け、次の日には3年ローンで 出たばかりのPowerBook G4とソフト一式を買って電子音楽の制作を始めました。工場で働きながら 1年半ほど家でひたすら制作を続けていましたが、一人でやることに行き詰まりを感じ、 インターネットを通じてメンバー募集をかけたことで伊達と知り合いました。出会ったその日に 高柳昌行について語り合ったことを覚えています。二人で2週に一度のペースでセッション等 をしながら、武蔵野美術大学や、銀座のギャラリー等でもライヴを演り、年に2回ほどは自分達 でイヴェントを企画することもやっていました。その後、高円寺の円盤で月1回のペースでゲスト ・アーティストを招いたイヴェントを始め、2005年の夏に、それまでValyushkaだったアーティスト名を Opitopeに、Radical Mute Geekだったイヴェント名をKuala Mute Geekに変えました。自分たちの主催 するイヴェントに海外からのアーティストが参加する機会が増えていったのもちょうどこの頃です。
DT: 初めて買ったレコードはEddie Cochranで、15歳の頃に弟とロカビリー の真似事を、高校生の頃にBeatlesのコピー・バンドをやっていました。16歳から曲を作り始め、その後 ジャズをかじるようになりました。浪人時代に新聞奨学生として働いていた新聞所で、『阿部薫覚書』 の著者である大島彰さんと知り合い、この出会いによって僕の音楽観は大きな影響を受けました。最初は、 Miles Davis、Eric Dolphyを始めとしたモダン・ジャズを教わっていましたが、ある日薦められた阿部薫の "Last Date"を聴き、生まれて初めて「とぶ」という感覚を覚えました。今でもその時の情景は鮮明に覚えて います。僕の音における審美観はその時の感覚に基づいている部分が大きいと感じています。その後、 Eric Dolphyと阿部薫の音に憧れてアルト・サックスを始め、通っていた大学のビッグ・バンド、他大学の ジャズバンドなどで演奏していましたが、Ella Fitzgeraldのライヴ録音を聴き、自分の演っている音楽は ジャズではないと感じて、それからはジャズに距離を置くようになりました。そんな頃にMouse on Marsの "Autoditacker"を聴き、関心が一気に電子音楽へシフトしました。3年ほど続けることになるエレクトロニック な歌ものバンドを始め、そのバンドのライヴ・イヴェントに、大友良英さん、半野喜弘さん、Merzbow等を 招いたこともありました。そのバンドの解散後は一人黙々と音楽を作る日々が続きましたが、その頃に 作ったいくつかの曲が、FatCatとMille PlateauxのウェブサイトにMP3で紹介されました。基本的には一人 でやりながらも、ソロ活動とはとは別にバンド活動も続けようとして、インターネットを通じて多くの人 と出会った末に知り会ったのが畠山で、出会った2時間後には二人でセッションしていました。その時の 畠山が出した最初の音で、これはいいなと思いました。それから二人で毎週のようにセッションするよう になり、不響和音の解釈を巡る議論の結果、「いくつものメロディーが揺らぐ波の中でひとつの印象を 与える音楽」というOpitopeのコンセプトが生まれました。これはJean-Luc Godardの「物語はいらない」 という作風に強く影響を受けています。畠山と出会ってからの2年間、セッション・録音・編集を繰り返した 経験は僕たちにとって非常に有意義でした。ちょうどこの時期、あるバンドからライヴ・イヴェントに 招待されたことがきっかけで、二人でイヴェントを始めるようになる高円寺のレコード・ショップ、円盤と 出会ったことも僕の人生を大きく変えた出来事の一つです。ライヴのためのスペースを無料で提供してくれた ばかりか、音楽に取り組む姿勢に意見してくれた店長の田口さんには心から感謝しています。結果的には僕の ソロ名義で参加することになりましたが、Spekkから、畠山と僕の二人に、デュオとして、コンピレーション、 "Small Melodies"への参加オファーがあったことをきっかけに、それまでに何度か変えていたアーティスト名 をOpitopeに固めることに決めました。
CH: 2005年の4月にアルバム制作に取り掛かりました。音素材を作る作業は それぞれが行い、編集とミキシングは僕が行いました。結成から5年経っていることもあり、Opitopeでやろう としていることのイメージは共有できているので、意見を交わす事はあっても、二人が顔を揃えて制作を進める ことは必要ではありませんでした。具体的な制作に入った時には、音の素材や曲のラフ・ヴァージョンは半分以上 揃っていて、そこから具体的なアルバムのイメージを広げていきました。その年の終わり頃にはアルバムに収録 されている曲はほぼ固まっていたのですが、最終ミックスにおける曲の細部の調整に非常に時間がかかりました。 ある曲の一部分に変更を加えると、そのためにその曲の他の部分に影響が出てしまい、またそこを修正すると、 今度はアルバムの流れにおかしな所が出てしまうといった感じで、曲の完成度と同時にアルバムの完成度を高めて いくという作業は非常に根気のいる作業でした。北から南への旅というアルバムのテーマには、偶然による無意識的 なものと、実際の体験の両方が影響しています。伊達と一緒に作業を行っていたのが、初期は大学の地下室、その後は 千駄木の日当りの非常に悪い部屋、そしてこのアルバムを作り始めたのが、伊達が引っ越した日当りの良い開放感の ある場所であったことが、暗い北から南への移動というテーマに無意識に影響しているのではないかと思います。 そして、アルバムの制作途中に訪れた西表島での体験が自分に与えてくれたさまざまなインスピレーションが、曲の イメージに反映されています。
DT: 音の素材には二人のセッションの録音から取ったものがたくさん使われていますが、 具体的な制作における作業の割合を言えば、今回のアルバムは畠山がやった部分が圧倒的に大きいです。僕は畠山の 制作途中のものを聞いて、詳細な感想を伝えたり、ある程度出来た段階の曲に自分の音を足して送り返したりしました。 曲名、一次マスタリング、アートワークの素材をどうするかについては二人でじっくり話し合いました。結成から半年後 くらいに、僕が二人で作った曲をアルバムの形にまとめたものがあったのですが、その作品から今回のアルバム制作の間 には4年近いブランクがあり、その間、週に一度は顔を合わせ、編集もできる限り協力し、絶えず話し合いながら一緒に 楽曲制作を続けていましたが、アルバムとして完成させるところまでは辿り着かなかった。そこで、ミックスはどちらか 一人が行うことに決め、畠山がアルバムとして仕上げたのが今回の作品です。僕にとっては、畠山がkrankyからリリース したソロ・アルバムと今回の作品を作る過程から音源制作について多くの事を学びました。今、僕が過去2年間のセッション を編集しているOpitopeの2枚目のアルバムは完成に近づいています。このアルバムが完成したら、その次は、畠山と 交互に曲を作って一つのアルバムにまとめてみようと考えています。
CH: ソロのライヴでは即興の割合は小さいのですが、Opitopeでライヴをする際は 相手の音に反応する側面があり、そこに即興の面白さを感じています。基本的にはあらかじめ用意した素材を選ぶ 段階からの即興なので、フリー・インプロヴィゼーションとイディオマティックなインプロヴィゼーションの中間 であるように感じています。即興については個人的に思い入れが強く、何をもって即興と呼ぶのか、Opitopeが ライヴでやっていることが果たして即興と言えるだろうか、という疑問はずっと持ち続けています。Opitopeには、 即興とDAWソフト上で作曲する二つの方向性があります。このアルバムはソフトウェア上で構築したものですが、 即興の部分もあり、どこまでが即興でどこからが作曲なのかという点については明確には言えません。ネタのために 即興で演奏した楽器の音を素材に、ピッチを変えたり、ソフト・サンプラーを使ってメロディーを付けたり、エフェクト をかけたり、並べ変えたりして加工していくのですが、音素材の段階でかなりメロディーが出来ていたものもあります。 二人の即興セッションから生まれたものも反映されていますが、録音をそのまま使うのではなく、素材に戻ってループ を作る段階から作り直すこともやっています。アルバム制作に取り掛かるずっと以前に原形が出来ていたものもあり、 例えば2曲目のヴィブラフォンに音階を付ける曲のコンセプトは結成当初からあったもので、何度も作り直して今回 ようやく形になったものです。このアルバムの作曲コンセプトの一つに、無加工の楽器の音とかなり加工された音を 組み合わせるというアイデアがあり、ドローン状になるまで加工された音の一部は、同じ曲ではっきり聞こえるギターの メロディーにプロセッシングを繰り返すことで作られています。一つのサウンド・ファイルに対して、数種類のソフトウェア を使いながらプロセッシングを繰り返すことで、子ファイル、孫ファイル、曾孫ファイル・・とたくさんのパターンが生まれ、 どんどん増えていくサウンド・ファイルのアーカイヴは現在70GBにもなっているのですが、実際に使うのはそのうち のほんの一部です。
DT: 「即興」という言葉には少し抵抗を感じていて、自分たちのやっていることが即興で あるか否かと考えることはあまりありません。近年の、演奏・楽曲編集ツールの多様化と機能の向上により、ある一定水準 の楽曲演奏をすることが容易になったことで、即興の定義が拡大したように思います。作曲について言うと、Opitopeの セッションを編集する作業を作曲とは捉えていなくて、即興演奏の再解釈という感覚で作業を進めています。作曲は無の 状態からのアプローチという認識です。ソロ作品などはそういう感覚で作業しています。Opitopeに限らず、僕の音楽は 基本的にMIDIシーケンスを組むことはやっていませんし、楽譜を理解し、演奏するという技術もありません(ジャズを やっていたときは試みたこともありましたが、情熱がそこへは向きませんでした)。ですから、僕にとってはどんな 演奏も常に即興であって、そういう意味では「即興とは何か」という命題は、僕自身の創作過程にとっては全くナンセンス な問題になってしまいました。僕にとっては、ライヴと音源制作の違いがより重要です。ライヴと音源制作、この二つに ついて極端に言及すると、「点」と「平面」、あるいは、「瞬間のバランス」と「連続のバランス」というイメージです。 ライヴは、会場にいる全ての人やものが、その音楽や現象に関与する、つまり、物理的な空間とそこに存在する様々な精神 という要素が介入することによって、「対話」と「転移」が関係してくるのでとても複雑で面白いです。一方、音源制作は、 音楽という現象としてはある意味で不変化されてしまうという点が面白く、また同時に怖くもある。何度も自分の曲を聴く ことは、自己の境界解釈の内的なプロセスとして重要な意味を持っています。宗教で例えると、ライヴはキリスト教的、 音源は仏教的な自己解釈の課程のようなもので、どちらも自分にとって重要です。
CH: 参加アーティストがそれぞれソロを演り、最後に全員で即興セッションする というスタイルのイヴェントを3年ほど続けています。かつてはソロよりも即興セッションを重要視していた時期もあり、 その頃はセッションに積極的なアーティストを選ぶ傾向がありました。ライヴ会場で聴くのであれば家とは違った環境 でできれば面白いという発想から、真空管アンプと、4チャンネルまたは8チャンネルのセッティングでやっていましたが、 残念ながらコストがかかり過ぎるので最近は諦めざるを得ない状況が続いています。多チャンネルのセッティングは今も 興味があって、一定期間スペースを借りてインスタレーションのような形で何かできないかと考えているところです。 CDの制作では、同じ音でもソフトウェアによって、あるいはバージョンによっても音が違い、CDになった時点でまた音が 変わってしまったり、本当に求めている音の質感とはどうしても微妙なズレが出てしまう。ライヴであっても理想的な会場 をいつも使えるわけではないし、リハーサルの時間も限られるので自分が納得行くまで調整することも難しい。 インスタレーション的なアプローチであればそういう細かい部分ももっと突き詰めてできるのではないかと思います。
DT: 畠山と共同で続けているものも含め、これまでにたくさんのイヴェントに関わって きましたが、僕にとってのイヴェントの目的は現在変わりつつあります。表現を通じて自己と他者の境界の知覚すること に関心があり、かつては表現を通じての社会対話の一つの手段としてイヴェントを行っていましたが、Kuala Mute Geekで 行っているセッションの経験により、まず、その動機が大きく変わりました。尊敬するいろいろなミュージシャンとセッション を重ねるうちに、自分自身がより積極的に音楽を構成することを意識するようになり、最終的には「音の微妙な差異は音を出す 直前の自分の精神状態が生みだす」ということを強く意識して演奏するようになったことが、このイヴェントで得た最も 大きな収穫です。ここ数年は「自分の内的環境の波及」ということにイヴェントやライヴの目的を見出していたのですが、 その疑問に対してある程度の整理がつき、そういった主旨でイヴェントのオーガナイズやライヴに取り組む必要性は低く なってきました。今現在、価値を見出しているのは、複数の人間が、ある時間と場所に共存するという状況を介さないと実現し 得ない実験の場としてのイヴェントのあり方です。さらには、その実験現場を後に再解釈するということに興味を持っています。 僕が始めているKualauk Table(クアローク・テーブル)という自主レーベルも、イヴェントや出会いを軸とし、即興演奏や 内的環境の波及という現象を再解釈することを主眼としています。7月にリリースするコンピレーションCD、 "Corony of Kualauk"は、これまで畠山と僕の二人が主催したイヴェントで行ったゲスト・アーティストとの即興セッションの 録音を、編集することを通じて再解釈した作品です。即興演奏の編集による再解釈は、演奏する自分とその内的環境波及に ついて考えるきっかけを与えてくれました。今後もKualauk Tableでは内的環境波及の実験と、その再解釈に焦点を 当てていこうと考えています。8月に予定している"Corony of Kualauk"のリリース・パーティーでは、Kualauk Tableの コンセプトでもある「水系と水系が交わりまた循環していく」に則って、3年前に出会った"Corony of Kualauk"の 参加ミュージシャンを招待して、再び集まった水系が即興演奏によって内的環境波及をする環境をイヴェントで現実化します。 さらに新しい試みとして、その空間の内的環境波及を精神分析家に分析してもらい、Kualauk Tableのウェブサイトにその文章 を公開することで、演奏者と来場者に、掲示板形式で再解釈のプロセスを共有する場を提供するということを試そうと思って います。Kualauk Tableは感覚的な対話を念頭に置いてスタートしましたが、ウェブサイトを一つの作品として成立させるために システムを構築するというアイデアがあります。インターネットはライヴと音源の中間にある存在、常に変化し、空間的・時間的な 制約を受けない媒体であると捉えています。
CH: ライヴやCDを聴いて感じる事の一つに、日本の即興ミュージシャンと欧米の即興 ミュージシャンの間の根本的な意識の違いがあります。海外のシーンについて詳しく知っているわけではないのですが、 欧米では即興の伝統と土壌があるせいで、却って即興に音楽を超える形而上学的なものを求めていないのではないかと 感じます。一方、日本の即興は、フリー・ジャズの歴史はあるにせよ、そういうものとは切り離された独自の発展の仕方 をしていて、即興に形而上学的なもの、音楽を超える何かを求める傾向が強いように思います。欧米では、例えば AMMのKeith RoweとFenneszが一緒にライヴを演ってCDまでリリースしたり、日本とは違って、文脈や出自が異なる ミュージシャンが当たり前のように一緒に演っている状況は羨ましく思います。
DT: 付き合いは音響系と呼ばれる分野で活動するミュージシャンにほぼ限られますが、 特に若い世代との間には、ライヴの後にやりとりすることも少なく、内向的な印象を受けていてその関係性の希薄な感じ を寂しく思っています。Kuala Mute Geekに出演していただいた僕たちより上の世代の方々は、ライヴ後の飲み会にも気さくに 参加してくれたり、音楽を通じての出会いをもっと楽しんでいるように感じます。もっとフランクに人付き合いをしたいです。 例えば、リスナーともイヴェント後も積極的に意見を交わし、発展的な対話の機会を持てればいいなと思います。それから、 演奏者もリスナーも音響系のイヴェントから足が遠のき始めているように感じます。音響的な音楽のライヴにかつての目新しさ は全くなくなっていて、その目新しさの消失が倦怠感に変わっているのではないでしょうか。これは前述の、即興演奏が技術的 に容易になっている状況の弊害かもしれません。こういった考えも、僕のイヴェントの取り組み方に影響を与えています。
CH: ソロは自分自身の実存的な欲求にしたがって思考を音にする作業であり、自分の内面 とのコミュニケーションと言えます。ちょうどいまkrankyからリリースした"Minima Moralia"に続くソロの2枚目を作っていて、 8割程完成した状態です。今年の1月にはアメリカのべリングハムでのフェスティヴァルに呼ばれ、サン・フランシスコの 会場でもソロ・ライヴを演りました。日本ではお客さんの反応が得られないことがほとんどですが、アメリカでは演奏後に たくさんの人から熱心に話しかけられ、よく言われているような日本と海外の反応の違いを感じました。最近では、 ドイツの映画監督Matthias Hicksteinからコンタクトがあり、彼の短編映画に書き下ろしの曲を提供したほか、今年公開予定の 木村威夫監督の映画に音楽で参加しています。映画音楽には興味があり、今後は機会を増やしていきたいと考えています。 それから、アメリカのダンス・カンパニーから楽曲をダンスに使いたいとのオファーがあり、やりとりをしているところです。 いつか舞踏とコラボレーションしたいとも考えています。ライヴ時の映像に関しては、以前にもOpitopeのライヴで友人が VJスタイルで映像を付けてくれることがありましたが、むしろ自分でやった方がいいのではないかという考えから、最近の ソロ・ライヴでは自分で撮った映像を使うこともあります。音に動きはあるので、固定した画角の中で微妙に変化する映像 でも十分ではないかと感じています。ソロ以外では、asunaと伊達との3人のコラボレーション・アルバムが完成に 近づいており、アメリカのCorey Fullerと伊達との3人のユニットの作品もほぼ最終ミックスを残すのみです。最近始めた プロジェクトとしては、ヴォーカリスト佐立努とのデュオ、それから、ドラマーJimanica、ベーシスト千葉広樹と3人での 即興やジャズの要素を取り入れたバンドがあります。また前述のCorey Fullerとの、フィールド・レコーディングと民族楽器 を素材にしたコラボレーションも進行中です。
DT: 先日アメリカを旅行した際に立ち寄ったベリングハムの大きな教会で、 真夜中にCorey Fullerと二人で、パイプ・オルガン、グランド・ピアノ、パーカッション、ダルシマーなどを思う存分演奏 してきました。その録音を二人でミックスして何人かの知人に聞かせたところ、あるレーベルがリリースに興味を示して くれました。そのうちの1曲がシアトルのYann Novakが主宰するDragon's Eyeのコンピレーション"Cotton"に収録されました。 今のところ8曲ほど出来ていて、今年の夏くらいには完成させたいと思っています。それから、短歌の歌人の一ノ関忠人さん、 舞踏家の朝吹真秀さんと3人で「言霊」についてのプロジェクトを進めています。朝吹さんはガラス職人でもあり、 今ガラスで僕の楽器を作ってくれています。9月には僕がその楽器を使い、3人でライヴを演る予定です。一ノ関さんの朗読 とのコラボレーション曲"原初の旅"も"Cotton"の1曲目に収録されています。前述の音楽と身体の関係については、来年から 研究室で具体的な実験を始める予定です。「音楽は全身に作用するという点で、他のあらゆる芸術に比べ優れている」という 昔の哲学者たちの言葉の影響もあります。音楽の、脳を介さない身体への影響を研究し、音楽が人類に与える影響の汎用性・ 再現性を科学的なプロセスで見つけたいと思っています。